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カール大帝の西ローマ帝国

476年に西ローマ帝国が滅びた後の西ヨーロッパに対しては、前述のように東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスにいる皇帝が全ローマ帝国の皇帝として宗主権を主張し、6世紀の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の時代には、イタリアやイベリア半島の一部を東ローマ帝国が征服した。

このため、西ヨーロッパ諸国やローマ教皇は、コンスタンティノポリスにいる皇帝の宗主権を認め、その臣下とならざるを得なかった(ヨーロッパにおいて、王が皇帝よりも格下であるという認識は、この時に生まれた)。ゲルマン人に布教を進めてローマ教会の勢力を拡大し、「大教皇」と呼ばれた6世紀末のグレゴリウス1世でさえも、それは同じであった。実際、7世紀の教皇マルティヌス1世のように、教義をめぐって対立した東ローマ皇帝コンスタンス2世によって逮捕され、流刑に処せられた者もいたほどであった。
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しかし7世紀以降、東ローマ帝国はイスラム帝国やブルガリア帝国などの攻撃を受けて弱体化したためにイタリアでの覇権を維持できず、またローマ教会とは聖像破壊論争などの教義の問題や、教会の首位をめぐるローマとコンスタンティノポリスの争いなどで対立を深めるようになった。このためローマ教会は、東ローマ帝国に代わる新たな後ろ盾を必要とするようになった。

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2009年07月12日 21:39に投稿されたエントリーのページです。

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